手掌多汗症とは、手の平から手汗があふれ出る疾患です。
出る量が少なければ、少し湿ってるくらいで問題はないのですが、手の平からとめどなくあふれ出る場合は、日常生活にかなりの影響を及ぼします。
この記事では、そんな手掌多汗症と闘った日々と、手術後にやってくる代償性発汗との闘いについてお話したいと思います。
ほぼ思い出話なので、代償性発汗についてだけ知りたい方は、飛ばして読んでくださいね。
手汗との闘いは小学生からはじまった
私が自分の手汗に気付いたのは小学生の時でした。
おそらく低学年のときはそれほど出ていなかったのか、手汗の記憶はありません。
顕著に感じるようになったのは、小学4年生くらいの頃からです。
当時私はエレクトーンを習っていました。
ひとりで練習するときですら、じんわり手汗が出てきて鍵盤から指が滑っていました。
さらに先生の前で弾くとなると、緊張からさらに手汗があふれてきて、鍵盤に水滴がつくほどでした。
手が汚れているときだと、水滴は黒く濁って鍵盤につき、見るからに汚いざまです。
お手本を弾くために先生と席を代わるときは、
「ティッシュある?」
と言われ、手にしたティッシュで鍵盤を無言で拭かれていました。
黒くなった手汗で汚れているのですから、拭きたくなるのは当たり前ですが、やはりショックは大きかったです。
中学時代から手汗症状がエスカレート
中学生になると、手汗を意識していることもあり、どんどん症状が加速していきました。
私が中学時代のプリント類はほとんどが「わら半紙」という紙で、水分をよく吸収するものでした。
このわら半紙、手汗もよく吸うため、紙がふにゃふにゃになり、鉛筆で文字を書くのも大変なんです。
間違えて消しゴムで消そうものなら、ふやけた紙が破れることもあるので、非常に扱いにくいものでした。
試験のときは地獄に近い
中学生になると、避けられないのは中間試験や期末試験ですね。
テスト前はいつも以上に緊張し、手汗が噴き出してきます。
しかし、手を拭きたくても、ハンカチは持ち込み禁止なので拭けません。
仕方なく制服で拭きますが、ポリエステルでできた制服では、全くと言っていいほど汗を吸い取ってくれないのです。
しかも、拭くときのくすぐられるような刺激で、さらに手汗がじわってくるという始末、まさに悪循環です。
終わるころには自分のテスト用紙だけ、ふにゃふにゃになっていました。
あれって、乾いても波うっているので、何枚か重なるとぼわっとなるんですよね。
カッターシャツの袖が黒ずむ
母が洗濯をするとき、
「どうして、いとこの袖はこんなに黒ずむの?」
とよく言っていました。
そう、手掌多汗症の人は、手汗によって袖が異常に黒ずむんです。
それは、机についた汚れや鉛筆の芯の黒い粉を、手汗で濡れた手が絡めとるから。
そして、その汚れた手と袖が触れ合うことで、汚れが移り、あっという間に黒ずんでしまうんです。
母に指摘されるたびに、何気にショックを受けていました。
小さい子にも手を拭かれる
中学生の頃、4歳くらいの子と手をつないで散歩をしたことがありました。
時は4月、とてもさわやかな日でした。
しかし、小さい子相手でも私の手汗は止まりません。
「小さいから手汗なんて気にしないかな」
と思いきや、手を離した瞬間、その子は一生懸命洋服で手をぬぐっていました。
そりゃ、濡れた手は気持ち悪いよね、と傷ついた一日でした。
高校時代は手汗に青春を邪魔される
晴れて高校に合格し、青春を謳歌したかったのですが、ここでも手汗に振り回される日々が待っていました。
私はバス通学だったのですが、つり革を持つ手が滑ったり、かばんを持つ手もべっちょりで滑るため、普通よりも握りしめる力が必要でした。
好きな人と手がつなげない
高校生になり彼氏ができましたが、手汗のせいで手をつなぐ勇気が持てませんでした。
相手に「つなごうか」と言われても、手汗がひどいことを理由につなぐことを拒否しました。
気持ち悪がられるかもしれない
嫌われるかもしれない
という不安に思う気持ちが強すぎて、どうしても手をつなぐことはできませんでした。
べっちょり手汗でフォークダンス
私の通っていた高校は、体育祭が終わると、(自由参加ですが)全校生徒でフォークダンスを踊るという謎のしきたりがありました。
フォークダンスは輪になって踊り、順番に相手が変わっていくので、巡りめぐって自分の気になる相手もやってくるわけです。
しかも、学年を超えて上級生もやってくるので、憧れの先輩とも手をつなげます。
がしかし、私は手汗持ち。
べっちょり濡れている手で参加するなんて、恥ずかしいし相手に申し訳なく思っていました。
とは言え、気になる相手と普段の生活で手を触れ合わせるなんて絶対ないので、この、またとないチャンスを逃すまいとしっかり参加しました。
踊っているときはふわっと手を添えるくらいだったので、それほど支障はありませんでしたが、人が入れ替わるたびに、体操服で一生懸命手汗を拭いていたのを覚えています。
また、参加してわかったのですが、一定数手がじっとりしている人がいたんです。
普段手汗の話なんてしないので、他にいるなんてわからなかったのですが、すごく親近感が湧いてしまいました。
大学時代は手汗にバイトを邪魔される
汗を吸わないポリエステルの制服で手汗を拭きながら入試を受け、なんとか大学受験にも合格し、晴れて大学生になりました。
大学生にもなるとバイトを始めますが、やはりここでも手汗に邪魔されることになります。
大学時代、コンビニやテレアポのバイトを経験しました。
コンビニでは接客がメインなため、レジ業務をこなすのですが、お釣りの受け渡し時に渡すレシートが手汗で濡れる、ということは日常茶飯事。
テレアポ時は専用の用紙に書き込むことがあったのですが、仕事の緊張で手汗がひどくなり、用紙がふやけ、仕事に身が入りませんでした。
社会人になり、手掌多汗症の手術を知る
超氷河期世代ですが、どうにかこうにか社会人生活をスタートさせることができました。
しかし、手汗により、書類はふやける、パソコンは滑って打ち間違える、相変わらずの日々です。
しかし、手汗との付き合いはすでに10年以上続いています。
あきらめに近いものがありましたが、その頃、手掌多汗症という手術の存在を知ったのです。
手汗を抑える方法として、手術以外にも塩化アルミニウムで発汗を抑えるものや、外用薬などがありますが、それらは一時的な効き目のため、継続して治療をおこなう必要があります。
何より私の場合、手に何かが付いているという状態がすごく苦痛で、ハンドクリームを手の平に塗るだけで手汗がじわじわと出てきて止まらなくなるのです。
手に何かを付けて手汗を止めるという行為自体、私には無理でした。
そこで、手術を選んだわけです。
手掌多汗症の手術は代償性発汗とセット
手掌多汗症の手術は日帰りでできて、保険も適用されるので、3割負担でそれほど高額ではありません。
まずは、手術を行っている病院を探し、診察を受けます。
その時に、ドクターが手の状態を診て、手術するべきレベルなのかを判断されます。
私の場合、一回目の受診時に手術をするレベルと判断され、その場で手術の予約をしました。
その際に説明されたのは、100%代償性発汗という後遺症が残るということでした。
代償性発汗は手汗が止まる代わりに、体の他の部位からの発汗が増えるというものです。
多くは、胸や背中、おなかや太ももなどということでした。
代償性発汗くらい手汗に比べたらなんてことはない、という思いから、すぐに手術を決意しました。
目が覚めると手汗が出ない体になっていた
(写真はイメージです)
手術自体は寝ている間におこなわれるため、とてもあっけないものでした。
脇の一部から内視鏡を入れて神経を切除するため、全身麻酔でおこなわれます。
そのため、絶飲絶食で前日からしっかりとした準備をしてのぞみますが、麻酔をかけられた瞬間から記憶を失い、起こされた時にはすべてが終わっているのです。
何より、術後の診察時にドクターに言われて気づくのですが、手汗が出てこず手の平が乾いているのです。
あの時の感動は今でも鮮明に覚えています。
帰りの電車の切符も濡れず、つり革を握っていても、手汗で滑らない。
買い物をしてお釣りをもらうときも、手の平がキラキラしていない。
控えめに言って、一日目から最高でした。
この日から手汗とは無縁の人生が始まるのですが、それと引き換えに代償性発汗と闘う日々が始まるのです。
代償性発汗が半端ない
出るべき手汗が出なくなったら、その手汗はどこへ行くのか。
そう、体の他の所から出てくるのです。
それが私の場合、首から下のほぼ全身でした。
特にひどいのは胸のあたりと背中です。
夏になると、玉の汗がおなかや背中をツーーッとつたうのがわかります。
それも絶え間なく流れてくるので、Tシャツがびしょ濡れになるのに時間はかかりません。
暑い空間にいれば、シャツは乾くことなくべっちょりしたままです。
冷房の効いた屋内に入れば、汗は止まりますが、汗で濡れた衣類が一気に冷えて、寒さで鳥肌がたち始めます。
そのため、夏は替えの下着も洋服も余分に持ち歩かなくてはならず、荷物が増えるのです。
そして問題なのが、脱いだ後の洋服です。
汗でびしょ濡れになった洋服は、そのままバッグやリュックに入れれません。
他のものに汗が付かないように、ビニール袋に入れる必要があるのです。
しかし、そのビニール袋を自宅に持って帰って洗うまでに、袋の中で汗を吸った洋服は雑菌が繁殖し、得も言われぬニオイを発するようになります。
私の場合、ビニール袋から出した瞬間、生ぬるい洋服から納豆のような発酵したニオイを感じます。
それについて詳しく書いた記事がありますので、参考までにどうぞ。
寒すぎる時にも汗をかく特殊体質になった
代償性発汗が顕著にあらわれるのは、夏や暑い時です。
冬であっても、暖房が効いていたり、緊張したときなどは異常に発汗して、玉の汗が胸や背中をつたいます。
しかし、私は寒すぎるときにも、謎の発汗をするようになったのです。
それは、首回りだけに異常に汗をかくというもの。
冬、体が異常に冷えてくると、震えだします。
そして、首からどんどん汗が出てくるのです。
私は冷え性なので、冬はハイネックをかかさず着ているのですが、首部分から鎖骨にかけて、洋服の色が変わるほど汗がしみて、ハイネックがびっしょりになります。
寒いところに濡れたハイネック。
寒さに追い打ちをかけられて、もう最悪です。
しかし、寒さで首から汗が出るというのは、これ以上冷えると風邪をひく、というバロメーターにもなっているので、プラスに考えれば、わかりやすい体質になりました。
代償性発汗とうまく付き合っていくために
手掌多汗症の手術で神経を切ってしまったので、代償性発汗とは一生付き合っていかなくてはなりません。
もはや止めることのできない発汗は吸い取るしかないのです。
私は10年以上代償性発汗と付き合ってきました。
他の人は乾いているのに、一人だけべちょべちょのTシャツを着ていたり、ズボンに恥ずかしい形に汗が染みこんでいたり、特に夏は汗に振り回される本当に嫌な季節となりました。
しかし、10年以上に渡って試行錯誤してきて、なんとか乗り越えてきました。
汗染みのわかりにくいTシャツを探し、汗臭くなりにくい方法、汗の染み込んだ洋服の洗濯方法など、他の記事でも紹介していきますので、参考にしてもらえたらうれしいです。
手汗同様、代償性発汗にも日常生活が困るほど悩まされていますが、手汗ほどではありません。
手ほど人に触れたり、物を触ったり、扱ったりする部位はなく、そこから汗が出なくなったっことは、この上なく私には幸せなことです。
代償性発汗はツライけど、はっきり言って、手掌多汗症の手術に後悔はありません。
以上、手汗とともに歩んだ青春時代の振り返りと、手術後の代償性発汗についてでした。
決して、この記事は手術をすすめるものではありませんので、誤解のないようお願いします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。